益子林業のブログ
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UNDER8が生まれたきっかけ その1 2025.06.30
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- 24歳(1996年)の時、私は木材業界に足を踏み入れました。
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- 父親の勧めで取引先の木材問屋へ入社しました。
当時は、木材製品の殆どがグリーン材(当時はそんな単語さえありませんでした)でした。
その最中に中国木材の堀川社長が築数年たったご自宅の米松が痩せて(変形して)いる記事を公開し、これからは人工乾燥の時代が来ると明言されていたのを「へーっ」と、実感が湧かずにいたのを覚えています。
それから数年経って益子林業に入社し、ヒートポンプを使った電気式の人工乾燥機で鴨居を作っていたわけですが、当時の製材業界には乾燥の知識が不足していて、乾燥の過程でカビが発生したり、変色したり、そもそもどの含水率まで下げれば良いのかわからないために、お客様からは「人工乾燥は駄目だ」「やっぱり木は天然乾燥に限る」などと言われていました。
私が初めて木材乾燥の学術的知識に触れたのは、針葉樹製材乾燥技術者の講習会でした。
そこで、自由水と結合水、繊維飽和点と平衡含水率、収縮率と干割れ、ドライングセットなどの基礎知識を学び、現場でのトライ&エラーが始まりました。
当時は、構造材のドライングセットが世に出始めた頃で、乾燥機業界は外部割れのない芯持ちKD材をいかに作るかに躍起になっていました。
しかし、私が取り組んでいた造作材(芯去り)材の乾燥スケジュールは、構造材(芯持ち)材のそれとはまるで違うので、造作材乾燥の情報を得るのは簡単ではありませんでした。
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- 造作材では1㎜以下の精度が求められるわりには、使われる環境によって平衡含水率は変化するため変形は避けられないし、同じ場所でも四季折々で環境は変化するため、どうにもこうにも八方塞がりだということでした。
さらに、ヘアークラックと言われるうっすらとした干割れさえも許されないのですから、課題は満載でした。
【続く】
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